ディテール:風呂のタイル~サブウェイとひだ-sの比較
風呂のタイルをサブウェイにするかどうかで悩んでいたことはすでに書いた.タイル選びは家作りにおいて悩みどころなのではないだろうか.
家具は造作できるが,タイルをオリジナルで作ったという事例は,あるかもしれないが聞いたことがない.そんななかでサブウェイセラミクスのタイルはかなり好きなタイプだったけれども,これがまた結構高い.どうせ使うなら風呂じゅう全面に配置したかったので減額調整で考え直すことにした.結果,名古屋モザイクのhida-sを採用した.
アップで見た風呂のタイル.目地は2.5mm.当初は4-5mmはないとズレると脅されたが,職人さんに頼み込んで狭くしてもらった.
hida-sはサブウェイとかなり似ているが,両者を比べると縦横比の若干の違い以外にもいくつか相違点がある.hida-sのほうが寸法が整っていて,フチがわずかに盛り上がっている.さらに,hida-sは水周りの使用に対応したモデルだ.サブウェイは釉薬の割れや色むらなどあり,より風合いがある.
サブウェイのタイル
実際に普通のタイルでも水回りの使用には問題がないが,寒冷地などではタイルの内部に残存した水分が凍結することで破損などの可能性があるらしい.関東地方の風呂場に使う分には,水回り非対応のラインナップで実は問題ないらしいということもあとで知った.
タイル目地の色はライトグレーにした.当初は黒目地にしようと思っていたが,家全体の色のバランスを考えて変更した.このくらい明るいと赤カビが出たときに目立つ.ダークグレーでも良かったかもしれない.まあすぐに気がつくから良いとも言えるし,面倒で掃除を怠った場合いつまでも気になるという欠点とも言える.
おまけ
検討した各種タイルなどの様子.左上はキッチンのサイルストーン(セメント).左下はリネアタラーラのキッチン壁面の塗装サンプル.
透明な家具と地鎮祭
話は突然さかのぼるが,今日は地鎮祭の話の続きをしよう.
地鎮祭の記事はすでに書いた(上記).そこでは触れなかったことについて書いてみることにする.
僕は音楽が好きなので,自分の家を立てる際にもそういった流儀でやりたいと思っていた.通常の地鎮祭は神主を呼んだりすることが多いが,我が家の場合はミュージシャンにお願いした.
大学時代からの古い友人である織原良次君というフレットレスベース奏者がいる.今をときめく引っ張りだこのプレイヤーだ.数多くのレコーディングにも参加しているし,ときどきテレビでも歌手の後ろのほうに写っていたりするのを見かける.
そんな彼は,自分のプロジェクトのひとつとして「透明な家具」というインスタレーションをやっている.フレットレスベース一本とループサンプラーだけで音像を作り出しアンビエントの手法で空間を満たす試みだ.結婚式やライブでの舞台転換などいろいろな使い道があるという.
四谷綜合藝術茶房 喫茶茶会記にて (c)mashow
「無形のインテリア」と彼自身が呼ぶその世界のありかたは,極めて周辺的でマージナルなものだ―――「聴かせようとする演奏者-聴こうとする聴衆」という二項対立を前提とする古典的音楽ではないが,少なくとも無音以上の何かではある,という意味において.
我が家のオープンハウスを兼ねた忘年会でも透明な家具を実装してもらった.パフォーマンスが終わって音がふと消えた瞬間に,みなが会話を止めてはっとした.話をしていると気がつかないような存在感で忍び寄るその音は,実はかなりの音量で鳴っていた.そのことに,音が消えてから初めて気がついたかのような表情が印象に残っている.
話がだいぶ前後したが,そんなわけで我が家の地鎮祭には織原君を呼んで透明な家具をやってもらったのだった.
「透明な家具」の音が土地に満ちるなか,湯を沸かし豆を挽いてコーヒーを淹れて土地に撒いた.
(c) id:bad
音符と木と家をかたどったクッキーを妻が焼いてくれたので,これも四隅に撒いた.
(c) id:bad
家具がないどころか,壁も屋根も無い状態なので,透明な家具というかむしろこれは透明な家みたいなものだ.それはさておき,織原君の作り出す空間は我が家の地鎮祭にぴったりの舞台装置になった.音が土地に満ちてゆくさまを味わっていると,私の頭の中にも「これは良い家が建つな」という思いが自然と満ちていった.
今月も四谷で開催されるようだ.自分も行けると思うので,興味のある方はぜひ会場でお会いしましょう.
○7月31日(金)深夜
BGA『透明な家具』
@四谷綜合藝術茶房喫茶茶会記
深夜廟vol.19
▷開演25時/終演28時
▷チャージ2000円(1d付)
▷詳細
http://t.co/gvdYVWb725
※今月も無事開催します。 pic.twitter.com/li0GDYVoQ6
— 織原良次 ryoji orihara (@orihararyoji) July 27, 2015
ディテール:スタジオの時計と貰い損ねたDejohnetteのサイン
スタジオの壁には時計を付けたかった.いろいろ考えたが,自作することにした.
この記事でも書いたのだが,去年ブルーノートにJack Dejohnetteを見に行った.その時のドリンクコースター(サイン入り)を材料にして,ムーブメントと針を付けて*1壁時計を作った.カチコチ音がするとスタジオとしては困るので,一応スィープ動作のムーブメントを選んだ.数字は,真鍮製のプレートを適当に買ってきて両面テープで壁に貼った.適当なつくり*2だが,木質セメントのラフな壁面によく合う.
じつはこのコースターにはDejohnetteのサインがない.Ravi Coltrane*3にまずサインを貰い,さらにMatthew Garrison*4にもサインしてもらいながらベースの話なんかを根掘り葉掘り聞きだした.親切にもステージに上げてくれて楽器や機材の解説をしてくれた.ふんふんと聞いていたところ,その間に肝心のDejohnetteが帰ってしまったのだった.
ディテール:ペーパーホルダー
家づくりにおいて意外と鬼門なのがトイレットペーパーホルダーの選択だ.既製品でよいものが見つからないので,当初の我が家のプランでは造作にしようという話になっていた.けれども,いざそろそろペーパーホルダーを付けないといけない段階になっても案が決まらなかった.「何も思いつかないんですけど……」などと,建築家も弱気である.「シンプルに作ればできるとは思うけれど,わざわざ造作にしてまで作るほどの必然性のある案が浮かばない」ということだった.
ペーパーホルダーが無くても著しく生活に困難をきたすということは無い.何度も保留にして案が降りてくるのを待った.しかし,思いつかない.家は竣工した.引っ越して住みはじめた.それでも誰も何も思いつかない.そんなこんなで,最後まで持ち越すハメになってしまった.
案が出ないので打ち合わせのたびに決定を延期にしてきたわけなのだが,五回目くらいだっただろうか,いい加減われわれも気がついたのである.実際のところ,ペーパーホルダーにそこまでこだわっている人はこの中に誰もいないという事実に.なので,初心に帰ることにした.
そういうわけで,もういちど既製品を見直してみることにした.Tformが取り扱っているLANGEBERGER社のViolaというラインナップからこの製品を発見した.
まず安い.2800円だ.それに,これ以上ないほどシンプルだ.仕上げも綺麗だ.総合的に考えて,文句の付けようもなかったので,我が家のホルダーはあっさりとこれに決まった.
さすがTform.困ったときのTform.家作りの駆け込み寺Tform.
水周りの既製品選びで煮詰まったときはここに行けばなにか見つかる(ことが多い).海外の高いブランド品も多数取り扱っているけれども,実はそういったものに比べれば廉価なオリジナルラインも充実している.かくいう我が家のシャワーヘッドなどもTform謹製(T-Plus)だ.おそらく政治的な事情があるのだろう,そういった製品は表立っては展示していなかったりするが,「予算が厳しいんです」と言うと奥のほうからごそごそ出してきてくれる.
以前にこの記事でも,Tformを紹介した.「注文住宅の家づくりは,ここに行かなければ始まらない!!」と書いたけれども,ひとこと追記する必要があるかもしれない.
「そして同様に,終わりもしない!!」
ディテール:伝声管
忘れられかけたもの
「潜水艦についててさ,ほらパイプを通って声が聞こえるアレをつけたい,ラピュタにも出てくるアレ」
基本設計のかなり最初のころに冗談半分で建築家に伝えた.すると,彼も話に乗ってくれた.
その後プランが何度も変わったり減額調整が厳しくなったりするなかで,なんとなくその話は忘れ去られてしまったようにも思われた.そんななか,いざ最終案のディテール図できあがると,そこには「伝声管」の文字があった.立面図の中には丸い二重円で表された伝声管の絵がはっきりと描かれていた.
(c) mashow
使い心地
使用感もなにも無いといえばそうなのだが,これが結構便利なものだ.
例えば,一階のスタジオに篭って仕事をしていても,二階のダイニングで長男と次男のどちらが何ニンジャーになるのかで言い争いをしている声が聞こえてくる.そこで,「喧嘩するなよ」とラッパにむかって入力すると,ハッとした雰囲気とともに「はぁい」という声が重なって返ってくる.しばらくすると,今度は妻の声で「ご飯できたよ」などと聞こえてくる.
二階ワークスペース部分 (c) mashow
記憶の伝声管
実際に我が家に作りつけられた伝声管が,目の前に天井から吊り下げられている.こうしてそれを眺めていると,何かを思い出す.とても幼いころの思い出が,記憶の地層の奥から掘り出されてくるような気持ちになる.
それは,どこかの科学技術館のような場所にあった伝声管を使って遊んだときのことだっただろうか.むこうがわに母親や兄がいて,こちらには姉と僕がいる.そこで夢中で交わしたはずの会話はもう思い出すことができない.覚えているのは,どこか夢見心地の幼い微熱のような感覚だ.当時,自分が何を感じてどんなことを考えていたのか,今となっては言葉では説明できない.記憶の映像とともにかすかによみがえるのは,言葉以前の衝動のようなものだ.
一階スタジオ部分 (c) mashow
目の前にある伝声管から声がする.はっとして耳を傾けると,どうも夕食を知らせているようだった.
「ぱぱ,ゆうごはんできたって」
鈍く光る鉄パイプを通りぬけて届けられてくる子供の声を聞く.それはどこか遠くから聞こえてくるようでもあり,一方ですぐそばにいる人の声のようでもある.そんな声に向かって返事をする.
「はぁい」
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