コルクタイルの僥倖
HOXANのコルクタイル.メーカーは違うが,コルクタイルは根津美術館の床などにも一部使われていたりする.どこのだったか忘れたけど.
千代田商会のロビンソンコルク(黒沢隆研究室「1/4弧IWT」).平米あたり9000円くらいでなんとかなりそうだ.
インテリアに木を使えば暖かみが出るなんて言われるが,僕に言わせれば,時としてそれは危険な思考停止に近い.木をレスペクトすればこそ,その選択には慎重にならなければならない.木目を生かすためには,それが映える舞台を設定することを考えたい.だから木目を生かすためには,じつはいかに木目を抑制するのかがまず重要なことなのだ.そういった微妙な気持ちの揺らぎにも応えてくれそうなのがこのコルクタイルなのかもしれないと思っている.
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このコルクタイルという床材に限った話でもないのだが,良いモノというのは「抑制が効いていながら緊張感も保っている」ものだ.普通は同時に成立しないような二つの要素がうまくバランスしている.しかも,この床材はパターンやマチエールとしても採用案に合いそうだ.
先日紹介したドミノフローリングもそうだ.チークの無垢が格子状に組み合わさることで,無垢材のソリッドな存在感と格子の幾何学的抑制が強度を保ったまま共存している.使いどころがあれば,ぜひ採用したい床材だ.
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先日,Jack DeJohnetteという伝説的なジャズドラマーが来日したのでブルーノートに聞きに行った.ショーが始まって,彼の右手に握られたマレットがシンバルを叩いた瞬間,僕はぶっ飛んだ.あるいは,吹っ飛ばされた.シンバルのアタックひとつに宇宙のすべてが含まれるように感じられた.彼の音楽は宇宙なのだ.いや音楽とはそもそも宇宙で,彼の音もそうであるだけかもしれない.
ともかく,初めて生で聴いたDeJohnetteの音はスゴかった.それは太くてかつ儚い音だった.太い音というのではない.儚い音というのでもない.太くて,かつ儚い音なのだ.この相容れない背反が共存することが驚きであり,そのアンビバレンスは宇宙の本質そのものだ.
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J.D.のシンバルがすべてをあらわしていたように,ドミノのワンピースが,あるいはコルクのひとかけらが,この家すべてのレプリゼンタティブとして働くような床材選びがしたい.太くかつ儚く響いた彼の音のように,存在感と抑制が両立するような知性をフローリングでこの家に実装したい.
自分でも何を書いているのかぶっちゃけ分からなくなってきたのだが,まあともかくブルーノートからの帰り道に千代田線に揺られながら,僕はそのようなことを考えていた.施主のわがままと妄想は,Jack DeJohnetteトリオの力に押されてか,こんなところまできてしまったのだった.
*1:サンプルに醤油をたらして実験した