羊飼いたちの休日

全力で家を建てたブログ

けんちくか・この不思議な存在(その二)

前回の内容を踏まえて,さらに考えてみます.

 

 

常識という名の思考停止

建築家の石山修武は著書「笑う住宅」にこう書いた.

 

「あるだけの知恵をふりしぼり,あるだけのつてをたどり,あるだけの体験と情熱を注ぎ込んでやっと出発点に立てるくらいのものなのだ,家作りというのは」

「常識という名の悪夢を振り切り,解体し,自分で調べ,自分で学び,自分で考えながら建ててゆくという方法だってとらなければならないのではないか」

笑う住宅 (ちくま文庫)

笑う住宅 (ちくま文庫)

 

 

住宅を買うという行為においてなかなかに厄介なのが,この「常識」という存在だ.家はふつう一生で一番の高価な買い物であるはずだが,多くの人がありふれた建売住宅ですますことが「常識」となっている事態をして「悪夢」だ,と石山は言う.

大手工務店やメーカーに家づくりを丸投げしたり,あるいは与えられたオプションリストから選ぶことで家のプラニングをすます行為は,家づくりの「出発点に立て」てすらいない,と切り捨てられてしまうのだ.恐ろしい恐ろしい*1

 

悪夢を解体する

家を建てるには,彼が言うように「知恵」と「つて」と「体験と情熱」を駆使しなければならない.確かにそれは並大抵のことではない.さらに,セルフビルドとまでなると,現実的にはほぼ不可能だ.けれども,「自分で調べ」「学び」「考え」て建築家に依頼することなら十分に可能だ.

 

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「幻庵」石山修武 1975 /(c)新建築写真部

 

いや価格が問題だ,と言われるかもしれないが,実際はそうでもない.昔は確かに,比較的高齢で高所得の選ばれた人たちが建築家に依頼するものであったらしいが,最近は多様化しているようだ.若い人が低予算で知恵を使いながら建てる例も増えているという.その際,一般的なハウスメーカーと変わらない価格でより固有の注文住宅を建てるのは、実はそんなに難しいことではないようだ.そうならば,この「悪夢」を「振り切」る挑戦は十分可能だと言えるのではないだろうか.

 

建築家とスルースキル

さて,こうして良い家を求めて全力を注ぐべく立ち上がった施主はにわかに勉強を始める.そうして学習した成果は,やはり設計に反映させたくなるものだ.恥ずかしながら我が家も素人にありがちな付け焼刃的アイデアをたくさん建築家に提案してきた.けれどもそんな案はおおむねやわらかくスルー,あるいはまれにはっきりとリジェクトされてきた.

さて建築家は,施主の意見を尊重しなかったのだろうか?もちろんそうでなはいだろう.というのも,採用されなかったアイデアをよくよく考えてみると,確かに自分の考えが浅かった,と後になって思いあたることがほとんどだったのである(そしてもちろん,素人の意見であっても本当に良いものは積極的に採用された).

 

施主希望の扱い方

クライアントの希望をすべて叶えるような設計は,原理的にクレームがつきにくいだろう.だってその仕様のすべてが施主の希望なのだから.でも実は,それは本質的には施主の頭の中にあること以上のものにはなっていないのかもしれない.日和見主義的な設計は,クレーム対策としては適切であってもクリエイティブとは言えないかもしれないのだ.

さらに言えば,もし望み通りの設計なんてものがほんとうに実現できたとしてどうか.それは結局のところ施主を幸せにするかどうか,案外あやしいものではないだろうか.予想の範囲を超えないものには,人は新しい価値を見出しにくいものなのだ.

 

作家と御用聞き

本当に住み手にふさわしいものを作るためには,時にリスクを背負ってまでしても,クライアントの希望を慎重に受け流す――そういった創造的スルースキルとでも言うべき能力も建築家には必要なのかもしれない.建築家という存在は,本質的に一種の作家性を身にまとっているものであって,単なる御用聞きのオーダー屋さんでいるだけではいけない時もあるのではないだろうか.

 

 

 

いえ・この不思議な存在

確かに家は純然たるアートではない.かといって純粋な工業製品でもない.不思議な存在だ.新しいものばかりを追い求めてもうまくないけれど,機能ばかり追い求めてもやはり魅力あるものはできない.

建築家はたしかにピュアなアーティストではない.かといって施主のおかかえ御用聞きでもない.不思議な存在だ.誰も見たことが無い家を作ればいいというものでもないけれど,施主の希望ばかり叶えても良い家が出来るとは限らない.

 

じぶん・この不思議な存在 (講談社現代新書)

じぶん・この不思議な存在 (講談社現代新書)

 

 

新しさを求めすぎる施主にはときに保守のブレーキをかけながら,機能や使い勝手ばかりを追求する住み手には前衛のアクセルを踏み分けながら,建築家は仕事を進めてゆく.施主のわがままな話を聞きながら,時に聞き流しながら,彼らは家を造っていく.分かりやすい魅力も知りながらも,安易に流れない慎重さも備えた設計に仕上げていく.そういったある種のバランス感覚,あるいはスルースキルのようなものによってもたらされる独自性・独立性が,建築家にとっての必要条件なのではないだろうか.

 

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「建築家って,いったいなんだろう……?」

 

師走のさなかに我が家はもうすぐ完成する.きっとその時,この問いの答えは明らかになるに違いない.

 

 

 

 

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*1:copyright id: xevraさん et al., Hatena Bookmark, 2014