町屋,長屋そして我が家
採用案について書くよ
これは,あんなことやこんなことも考えたが結局こうなったという記事である.どうなったか?
まず結論からいうと,こうなった.
一階
二階
三階
え?
シンプルで地味.ただの四角い家に見える.けれども,この家の生い立ちはもうすこし複雑だ.そのあたりを説明したいと思う.
閉じて,開いて
さて,いままでいろいろなプランが出ては消えていったが,そもそもそれらはいったい何をめぐって思案されてきたのか.
一言でいえば,採光の問題である.都市部の狭小な住宅地で,いかにしてプライバシーを確保しながら,光や風を住宅に取り入れるか.その問題の解決案として生み出された設計プランだちだった.そしてこの採光をどうするのかという問題は,言い換えれば「いかに家を開くか」という問いと同じだ.
プライバシーを確保するだけなら,単純に閉じてしまえばよい.家をすべてコンクリートで覆ってしまえばよい.でもそうはいかない.それではモグラの地下生活と同じになってしまう.周囲との関係性というものが遮断されている.そこには社会性というものが無い.それは人間の住む家ではない.
光を取り入れるだけなら,単純にすべてを開け放てばよい.すべての壁をガラス張りにすればよい.でもそうはいかないのだ.それでは上野動物園の檻と変らない.他者とのたてわけがあまりにも足りない.そこには個の尊厳が無い.やはり,それは人間の住む家ではない.
開き方=住宅の社会性=採光の解決法
「いかに開くか」という問いは,明らかに「いかに閉じるか」という問いと表裏の関係にある.そして,その開き方/閉じ方のバランスはつまり,個人と社会の関係性である.だから,家の建て方も同じで,開き具合/閉じ具合に頭を悩ませることになる.
そしてこの問題は実際問題としては、やはり採光をどうするかという論点にだいたい集約される.
最高の採光を探せ
密集した住宅地において,いかにして採光を確保するか.
例えばボツになったこの案では,大きくテラスを取ることで解決を図った.また,この案では天井採光によって明るさを担保した.また,図面は割愛するが別の案では,あえて住居面積を狭くすることで広い庭確保し,光を取り入れようとした.さらに別の案では,「透明の廊下」で家をかこむことで下の階にも光がゆきわたるようにした.また別の案では吹き抜けを採用した.など,など.
いろいろな方法がある.
結局どうしたのさ?
では,我が家の採光プランは結局どうなったのか.答えを簡単に言えば,それは「坪庭」である.坪庭を作ってそこで「開く」.そこから光を取り入れる.
でも確かに,最初に示した図面に庭は無いように見える.もしかすると,ところどころにはさまれたテラスを「これは庭だ,庭なのだ」と私は言い張っているのだろうか?
まずはそのあたりを説明したい.
中庭から光が差し込む様子(吉島家住宅)
坪庭と町屋造り
我が家の採用案はもともと,江戸時代の京町屋造りに見られる坪庭がルーツにある.話の流れに納得がいかないかもしれないが,とりあえずまあ聞いてほしい.
町屋造りとは何か:通りに面した住居と奥に位置する蔵をはさむ形で坪庭があり,そこが「開いて」いる.これが町屋の基本構造ということらしい.
1976年に発表された安藤忠雄設計の「住吉の長屋」では,その町屋造りをきわめてシンプルな長方形に落とし込み,モダンなRC造りでそのエッセンスを再構成した.二つに分かれた住居スペースに挟まれるように青天井の坪庭があり,そこが「開いて」いる.
そして我が家は,というと……?
坪庭の開き方
そのまえに「住吉の長屋」についてもう少し説明したい.
この建築は今見てもかなりラディカルな設計だ.もちろん坪庭を通して採光は確保される.ただしもちろん,それだけでは済まない.居間から食堂へ,寝室から子供部屋へと移動するには,いったん外に出ないといけない.雨の日,風の日,雪の日はすべて天候の厳しさを肌に受けないと生活が出来ない.
この住宅の住み手は35年住んだあとにこう言ったという.
光庭を中心として四季の移ろいを肌で感じ、ときに恨めしく、心踊らされ、あるときは格闘を強いられ、あるいは諦めたこともある。生きることに飽きるということがなかった。剥き出しの光庭が安易な利便性を排除することで不便と引き換えに天まで届くような精神的な大黒柱をもらった。
我が家の根本的な構造
採用案の構造は,そのエッセンスだけを図示するとこうなる.寒天と羊羹を重ねて作ったケーキのようなひどい図だが,意味は伝わると思う.
これでおわかりだろうか.このように,我が家は基本的には「住吉の長屋」と同じなのだ.しいて言えば,それを縦横に1.5倍くらいに反復して延長したような構造だ.ただいずれにしてもその根本的な構造は変らない.
そのままでは,住吉の長屋の住人の言葉を読み返すまでも無く,あまりに生活がシビアなので,そこからアレンジした.そうして,根本的に「開かれた外」としてその形跡を残しているのは,二階と三階のテラス部分だけとなった.でも逆に言えばここは,いまだに「完全にそと」なのだ.だから,ダイニングからリビングに移動するためには文字通りいったん外に出ないといけないし,バスルームから寝室へ行く際も同様である.
町屋造りのワイルドな雰囲気,坪庭がもたらす自然の恩恵と厳しさ.依然そのエッセンスをはっきりと残している.それらの構造が,生活の中心となるスペースに光を届ける,風を運ぶ,雨をしらせる.
そのほかの「かつて理念として挟み込まれた坪庭」であった部分はいまや,縦に伸びるひだのような構造としてその痕跡を残しており,これもささやかな採光を担保する機能を果たしている.
我が家の設計アイデアの芯がそこにある.
というわけで
というわけで,これでようやく我が家のなりたちを大まかに説明できた.
図面で見るととても地味な家である.それどころか,竣工間近の現場に実際に行ってみても,やはりぱっと見は地味に見える.施主の私が言うのだから間違いない.
でもしばらく家の中でたたずんでみると,ちょっと普通じゃないところが隠し切れなくなるような雰囲気が滲み出てくる.「開かれた坪庭」を通して,光だけではなく風が,音が,落ち葉が,ときに雨や雷鳴が中に入り込んでくる.どんな家かと問われれば,答えはすでに述べた.「そんな家」だ.
設計の根幹と枝葉末節
例えば納戸を作りたいとか,ビルトインガレージにしたいとか,キッチンパントリーがどうとか,フローリング材がどうのこうの…….そういったものも,もちろん大切な要素だ.けれどもいくら私のような素人が付け焼刃の知識でそのようなディテールについて騒ぎ立てても,設計の「根幹」には関係の無いことだ.それらのことは文字通り「枝葉末節」なのだ.
こうして半年がかりで基本設計を終えることができた今いちばんに思うのは,建築家に頼んでよかった,彼に頼んでよかった,ということだ.枝葉末節はいくらでも後から付け足せるけれど,設計の根幹となるアイデアとその具現化について,彼は彼にしかできないことをやってくれた.そしてそれはこの家でこれから暮らしていく上で,きっと大きな支えとなるような大黒柱になってくれるはずだ.
建築家と吉島家住宅の中庭を望む
これで総論は終わり.次回は各論を簡単に説明したい.