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羊飼いたちの休日

全力で家を建てるブログ

どんな家にする?

「何十年かしてから,『あーこの家はやっぱりカッコいいな』と思える家を建てたいよね」と妻は言った.

 

時を経てもカッコいい家.そのためには,何が必要なのであろうか.

 

時間が経ってからも良いと思えるものを作るには,すくなくともどこかで「それなりの挑戦」が必要だ.多少のリスクをおかしても,「なにか新しいものを目指す気持ち」がないといけない.

 

たとえば,「間違いない」チョイスだけで建てた家はどうだろうか.少なくとも出来たすぐはステキな家だろう.でもそれだけでは,時の経過に耐えられないかもしれない.立ったときが最良であっても,あとは陳腐化していくのを眺めているしかないかもしれないのだ.

 

もちろん,新しいものを追い求める余り,現実から乖離しすぎてもいけない.人が住んでいるのだから,根本に生活がなくてはいけない.住まいとしての素性のよさは必要だ.けれども,ただ出来の良い家に住みたいなら,なにも建築家に頼む必要はない.便利さや出来のよさでいうならば,ハウスメーカーやマンションを選ぶ方が得策なことも多いかもしれない.

 

僕が家を建てる上で求めていることは,ある程度以上の出来のよさに加えて,ある程度以上の「新しさ」を加えた上で,さらにそれらのバランスを取るという,いささか贅沢なものだ.そして,それを実現するには,現実的には建築家に設計を頼む以外に方法はないし,言い換えれば,建築家に依頼する以上そこは目指していきたい.家作りに対するこの願いは確かに贅沢かもしれないけれど,建築家に頼むような施主は多かれ少なかれ全員がそのような願いを持っているのだ.

 

 

さて「時がたってもカッコいい家」というのは妻のせりふだった.一方の僕も,似たようでいながら少し違うことを考えていた.

 

「経年変化でより美しくなる家」

 

傷だらけだが手入れされている革の艶.日に焼け人の手に触れて飴色に変化した楽器の木目.何度も研がれてすこし小さくなった包丁の鈍い輝き.モノには二種類ある----使えば使うほどみすぼらしくなるものと,使い込むと美しくなるものだ.家もモノの一種だから,できることなら後者にしたい.

 

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こういった要素や希望を家として具体的に実装していくのは,建築家と施工職人と施主の全員ががんばらないと出来ない.設計や建材の慎重な選択で,どこまで実現できるか.言ってみれば,それ自体も挑戦なのかもしれない.僕も,沢山勉強しないといけない.がんばります.